福岡地方裁判所 昭和39年(わ)924号 判決 1965年2月24日
被告人 大辻音松
昭七・七・三一生 左官
主文
被告人を懲役二年六月に処する。
この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、小南博男が昭和三九年一一月三日午前三時頃、福岡市東堅粕豊町二〇五番地読売新聞社独身寮内兵頭頼義(当三一年)の居室において、同人に対し「俺は某新聞社から頼まれて君を消しにきた。自分は使いの者だが金をもらえば話はつく。五、〇〇〇円出せ。」等と申し向け、同人が右要求を断るや「図太い野郎だ。」「刺身包丁で殺してしまえ。」等と怒号して包丁を探がしたがないと知るや、「俺は子供の使いじやない。判らにや判るようにしてやる。」等と怒号して同人の頭髪を掴んで頭部を床柱に数回打ちつけ、更にその場にあつた陶器製灰皿(昭和三九年押第二二五号の二はその破片)をもつて同人の前額部を一回殴打し、足で頤部、肩部を蹴る等の暴行を加え、もつて同人の反抗を抑圧したうえ、同人よりその所有の金品を強取しようとした際、右小南の暴行強迫により右兵頭が反抗を抑圧されていることを知りながら右小南と共謀のうえ右兵頭所有の腕時計一個、背広上下一着、現金約一〇〇円在中の小財布一個(時価合計二四、一〇〇円相当)を強取したものである。
(証拠の標目)(略)
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法六〇条、二三六条一項に該当するが、なお前記証拠によると、被告人は、犯行現場に赴く途中犯行につき何も聞かされないまま被害者宅まで同行し、「寒いからあがらせてもらえ。」と前記小南にさそわれるまま被害者の居室に入つて右小南の被害者に対する言動からはじめて強盗の意思を察知したものの、当初はこれに加担する意思はないばかりか、むしろ当惑し右小南の犯行に対しては極めて消極的でたんなる傍観者的な態度をとり、かえつて右小南の犯行中同人が憤激して立ち上ろうとするのをなだめるなど事態を悪化させないよう努めたことさえうかがわれ、さらに判示強盗の所為に出たのも右小南から数回にわたり前記背広を持帰るよう要求されて止むなくこれに応じたことによることが認められ、これら諸般の犯情を考慮し同法六六条、七一条、六八条三号により酌量減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、右のように被告人はきわめて消極的な気持で止むなく本件犯行に至つたものでありかつ前科としては昭和三九年の覚せい剤取締法違反を除けば昭和三一年の古い二犯があるだけで再犯のおそれも少ない等の情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右の刑の執行を猶予することとし、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人の負担とする。
(強盗傷人罪の成否について)
本件公訴事実の要旨は、被告人は前記小南と共謀のうえ他人より金品を強取しようと企て前記判示事実中の右小南の所為に加え「とにかく金で片付くことだから三、〇〇〇円でも出せ。」と申向けてともども前記兵頭の反抗を抑圧して前記判示のとおり金品を強奪しその際判示暴行により同人に対し治療約一〇日間を要する前額部挫創等の傷害を加えた、というにある。右共謀成立の時点について考えるに前記酌量減軽の事由として判示したとおりの被告人の犯行の経緯よりみるとき当初より右共謀があつたことを認めることはできずさらに右金品の要求の点について、検討しても、被告人は右のような趣旨でなく事態を悪化しないようにいわば仲裁的な意味で「車代でもよいから出してやつたらどうか。」との趣旨を言つたと弁解し、この弁解は前記酌量減軽事由として判示したような被告人の犯行の経緯からみるときあながち不自然とは思わない。もつとも、第二回公判調書中証人兵頭頼義の供述部分によると、同証人としては当初から被告人をも小南の共犯者と感じていたことは窺われるが、それはあくまでも同証人の主観的なものに過ぎないから、右供述部分のみをもつて右の時点における被告人の強盗の犯意を推認するに十分でなく、したがつてこの時点における共謀の成立も認められないので、判示認定の時期を以て共謀が成立したものと認めるほかはない。しこうして、このように先行者の行為の途中に後行者が加わつた場合については当裁判所は後行者の責任についてはそれ自体独立に判断すべきであつて後行者は先行者の責任を承継しないと解するのが相当であると考えるので(浦和地方裁判所判決昭和三三年三月二八日第一審刑事裁判例集第一巻三号四五五頁、広島高等裁判所判決昭和三四年二月二七日高等裁判所刑事判例集一二巻一号三六頁参照)被告人に対しては判示腕時計等の奪取行為前における小南の行為については責任がなく強盗罪として問責すべきものと考える。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 塚本富士男 森永竜彦 東孝行)